幸村vs幸村

 それは、雨上がりのある日曜日の事でした。真田と幸村はテニスをしようと約束していましたが、雨が降ってコートが使えないのでプラプラと散歩をしていました。公園に差し掛かると色とりどりの花が咲いていてそれらが雨露に濡れていつもよりキラキラと輝いて綺麗でした。その綺麗さはまるで日常から切り離された絵のように見えました。それに加えて幸村は、真田と一緒に居るからいつも以上に綺麗に見えるのかもしれない、と口には出して言えない事を想って、熱でもあるのかなとおでこに手を当ててみましたが、別に熱はないようです。
「幸村、何をニヤついている?」
「べつにー。にやついてないよ」
 そんな風に、幸村は道路の反対側、真田の方を向いて言うと突然真田が幸村の前をものすごいスピードで通り過ぎていきました。
 と同時にキキーッ!! と耳にうるさく車の急ブレーキの音が響き、驚きが幸村を立て続けに襲います。
「危ないじゃないか!」
「すみません」
 運転手の怒鳴り声に謝ったのはなぜかさっきまで隣に居たはずの真田の声でした。幸村は突然の出来事にドキドキしていると、真田の腕には小さな男の子が抱かれていました。
「真田、どうしたんだ」
「いや、この子が突然向こう側から飛び出してきたのだ」
 すとん、と軽々しく地面に下ろすと、真田を見上げている子は自分に何が起こったのかすらわかっていないようで、ニコニコとして笑っていました。
 この悪びれない表情、だけど憎めない。何処かで見たような髪のウェーブ。幸村はなんとも言えない気分になっていました。
 二人を交互に見上げると、すぐにその小さな男の子は視線を自分の目の高さに戻し、またニッコリ笑って言います。
「あ、お花! あのお花が欲しい!」
 小さな指が差す方を見れば、それは幸村がこの公園の中でも一番好きな花でした。
 んー。
 ますます、むずむずとするようなもやもやとするような、不思議な気分に襲われます。
 真田は少しだけ、幸村がずっと黙っているという事に気がつきましたが、それよりもまたその小さな男の子が危なっかしげにお花に手を伸ばそうと垣根によじ登っている方に気を取られました。
 末っ子な真田は妹のいる幸村よりも断然小さい子の扱いには慣れていませんでしたので、真田も先ほどから口数が減っていました。だからこそ、幸村にフォローしてもらいたかったのですが、その幸村がさっきから黙っているのですから真田も少し不思議に想いながら、その小さい子が目指すお花を乱暴に引っこ抜いてあげました。
「これが欲しかったのか? だが、危ないから一人でウロウロしてはいけないのではないか?」
 真田のお小言っぽい言葉が理解できないのか、それとも理解していたのかわかりませんが、嬉しそうにお花を受け取ると男の子は初めてそこでしゃがみこんだ真田の顔を改めてじっと見ました。
 じっと見られた真田は、条件反射で笑いました。すると、その小さい子も透明な水の入ったコップに綺麗な色の絵の具を一滴垂らしたように瞬時にパーっと笑顔を広げました。なぜか真田が赤面しそうなたまらん可愛らしさでした。
 ですが、真田は別の視線がつむじに降り注ぐのも感じ、いつまでもボーッと見てはいられないと思いました。
「では、家に帰る時も気をつけるのだぞ」
 ぽんぽん、とその子の頭を叩くと立ち上がり幸村の顔を様子を伺うように覗き込みます。
「まさか、お前……」
「何? 俺、何もいってないけど」
 まさかあんな小さな子供にヤキモチを妬く……のか……、と真田はギロリと睨む幸村を見て口をつぐみました。
 そんなちょっぴり気まずい雰囲気の中でもなんとなく気になったのでしょう、二人は何も言わず、同時に後ろを振り返ります。
 ところが、もう男の子の姿はどこにも見えませんでした。まるで雨上がりの水溜りの中に吸い込まれて消えたような感じさえ漂わせて。

 ◇

 幸村はすっかり忘れていました。
 昔、綺麗なお花が目に入ると一目散に駆けつけていた事を。一度、大きくてちょっと見た目怖いけど、優しいお兄さんにお花を取ってもらった事を。そのお兄さんの事がしばらく忘れられなくて、また会いたいって想っていた事を。
 それから、何年か経って初めて真田に会ったとき、幸村の中では単なる一目惚れで片付けてしまっていたのですが、何処かで会っていたような、懐かしいような、ずっと好きだったような、そんな不思議な気持ちを感じたことを。
 でも忘れたままで構いません。
 実はそのお兄さんは真田のお兄さんだったからです。

 だけど……。

 真田は、幸村の様子がおかしいので言えないでいたのですが、こう想っていました。
 あの男の子は、幸村、お前にそっくりだったな。
 花が好きな所も、好きな花も、花のように可愛く笑う所も。



(2006.3.17/2021.1.5)
タイトルとURLをコピーしました
inserted by FC2 system