やきもち

 不二周助がなかなかテニスに真剣になれない理由の一つには、華奢で小柄で、女の子のような容姿だということも含まれていた。まだ中学一年生だから、という慰めは実際周囲に不二より成長している男子がいることから通用はしなかった。
 そのせいで、ネットを挟んで向かい合ってもはなから相手にされないこともあった。ならば強くなってやると一生懸命練習をしてもまだ幼い年齢的に、どうやら肉体的な成長の差が結果に激しく出てしまっていた。
 ──頑張っても無駄なのかもしれない。

 もともとどちらかというと物事に熱くなる、という経験がない不二の性格では、とりあえず姉に連れて行かれたからテニスをしている、という流れに乗っただけでもあった。
 そんな中、入学した青春学園で手塚国光と出会う。同じ新入部員の中で、見た目が大人っぽく、人一倍クールに見えた。
 彼も自分と同じように、ただ家族に勧められたままここにいるというタイプかもしれない。そうだったらいいな、と単純に仲間を探すような感覚で不二から声をかけたのが始まりだった。だが、手塚はその一見達観仕切ったような冷めた見た目からは想像もつかないほど誰よりもテニスに対する熱は高く、プロを目指してもいた。本来なら凄い! と褒めるべき事だろうに不二にはどこか手塚を遠く感じ、がっかりした。

 だが手塚の方は、不二の持つ天性の才能にすでに気がついていたのか、不二にテニスを続けることを薦めるような発言を会話によく混ぜていた。
 別に不二が辞めたいはもちろん、弱音を吐いたわけでもないのに。
 何か感じていたのかそれとも単なる説教好き、世話好きなのか。確かにそんな性格は生徒会長や部長という、彼に与えられた役職にはあっている。


 不二が手塚に言われた言葉の中で特に印象的だったのは、「テニスは見た目でするものではない」という言葉だった。
 それは背が伸びないとか、筋肉がつかないなど、いつもの持ちネタとも言えるような身体的な愚痴を不二が良く言っていたせいで、それに対する手塚の励ましだった。
 その効果は絶大だった。たちまち不二を勇気づけただけではなく、手塚が自分の事を考えて言ってくれている、という事が嬉しかった。
 もしかしたらそれ以前からだったのかもしれないけれども、不二が部活の仲間である手塚を特別に意識し始めたのもこのタイミングだったと覚えている。


 手塚は普段から余計な事を話すタイプではなかったから、不二が他校生の真田と幸村の存在を知ったのは初めて会った瞬間だった。
 その日は、珍しく学校外でテニスをするからと手塚に誘われ、なかばデートか? とまだ手塚にはっきりと想いを伝えていないからこそ、浮かれて夜も眠れないくらい楽しみにしていた日だった。
 しかし、待ち合わせのコートに着くと不二は戸惑う。
 普段から集合時間よりも早く到着するタイプだった手塚の姿は珍しくはなかったが、そこにいたのは手塚だけではなかった。
 一人は手塚と同じくらいの身長で、一人は一回り小さかった。考えても青学の生徒ではない。近づくにつれ、偶然居合わせたというよりは、親しい知り合いの雰囲気に不二は二人きりではなかったんだと落ち込んだ。別に、他に友達を呼んでいたのはいい。気になるのは、その顔に見覚えがないこと、それ以前に他校にテニスをするような知り合いがいる、という話すら聞いた事がなかったことが、手塚との間に距離を感じて不二をへこませた。

 こちらを向いている一番背の低い子が、手塚の背後に近づく不二の存在に気が付き、手塚に声をかけたらしい。手塚がくるりと振り向いて不二を確認した。
「手塚……」
「ああ、不二来たか。紹介しよう。俺の友人の真田と幸村だ」
「フジっていうんだ。名前? 苗字? 俺は幸村精市。よろしくな」
「真田弦一郎だ」
 自分の名前さえも事前に告げられていないのだと知ると、不二は自分が手塚にとってどういう存在なのだろうと疑問を感じる。
 テニスの為に集まった事は変わらないから、単なる人数合わせだったのかもしれないと思うと、数日前から浮かれていた自分が恥ずかしい。
 つい、初対面の人たちの前だというのに、笑顔がつくれずこわばってしまう。しかも手塚の友達だというのに悪い印象を与えてしまっているかもしれない、そう考えても不二にはとりつくろう余裕はなかった。

 気の利いた言葉が出せない代わりによくよく見ていると、真田はいかにも手塚の知り合いというのがふさわしい、無愛想で身体は大きく、いかにもスポーツをしている男の子といった風貌だった。深く被った黒いキャップが表情を見難くしていておっかなくも感じる。手塚がいなければ不二には縁があるとは思えなかった。
 だが、もう一人の幸村は違った。
 気味が悪いくらい黙っていてもニコニコとしているその顔は、まだ成長途中ということもあって中性的というよりは、まるで女の子だった。癖のある髪も、不二よりも長くて遠くから見た時から手塚が女の子といる、と思うくらいに。それがそもそも嫌だったんだと不二は気がついた。手塚にガールフレンドがいた。そう勘違いしてつまらない気分になってしまっていたのだ。
 そして幸村が女の子じゃない、とわかっても不二の問題は解決しなかった。
 幸村の口から「俺」と言われた時の違和感が、その瞬間よりも、時間が経てば経つほどじわじわと効いてくる。

 幸村は、口を動かしていない時の方が少ないくらい独りで話していた。それは初対面の不二に気を使っての行為なのかもしれないが、そんな幸村に手塚がいつも以上に相槌を打ったり、積極的に口を挟んでいるのを見ると知らない手塚が見れて嬉しいというよりは疎外感の方が強かった。
 手塚と真田は完全に幸村の聞き役、という与えられた役を全うしている。三人が不二の知らないどこかでいつの間にか繋がっていたのがはっきりとわかる。
 ──やきもちなんてみっともない。
 そうは思っても、次から次へと打ちのめされるのだから仕方ない。

 いよいよテニスを始めると不二は決定的な事に気がついてしまう。
 幸村はテニスが強かった。
 もちろん、真田も見た目に違わずなのだが、体格的には不二と変わらない幸村の、どこからあんなパワーが出るのかと驚くくらい、手塚を振り回していた。
 先輩相手でも、あれほど真剣に試合をする手塚を見たのは初めてかもしれない。
「テニスは見た目でするものではない」
 あの言葉は、不二を励ます為に手塚が言ってくれたのではなく、実際にそういう人物を知っていたから出てきただけの言葉だった──気づいてしまった。
 不二がそう思ってしまっても仕方ないくらい、幸村はその言葉を不二の前で体現していた。


「フジっていつも大人しいの? それか人見知りしてる?」
 ベンチに座り俯いて汗を拭いていると、幸村が不二の隣に座って顔を覗き込んで言った。
 どれだけ間近で見ても、幸村の顔にあらは探せない。
 不二は自分の容姿が中性的であることが、コンプレックスではなくなっていた。それを気にするなと言ってくれたのが手塚だったせい、というのは自分でもわかっている。
 だが、まだ不二からの返事を根気強く待つ、ニコニコとした幸村の余裕の表情からは、きっとこの人には始めからコンプレックスなんてないんじゃないか、と今まで気づくことのなかった劣等感が首をもたげた。

 幸村は、それでもだまったままの不二を追い詰めて困らせることもなく、スッと話を変えた。
「でも手塚にこんなに可愛い友達がいるなんて、知らなかったな。手塚って学校のこと、こっちから聞かないと何も言わないんだよね。もっと早く教えてくれていたら一緒にテニスできたのに。不二って上手だよね。これからは一緒にやろうよ、な」
 ポンと手が肩に乗せられると、気のせいかふわりとよい匂いまでしてくる。自分のウエアの裾をつかんで鼻に持ってすんっと深く吸うが、やっぱり汗の匂いしかしない。

「そういえば、不二。幸村はお前と同じ早生まれなんだぞ」
 だから少々身体が小さくても気にするな。きっと手塚はそういいたいのだろう。
 でも今は手塚の気づかいよりも、手塚が自分の誕生日を覚えてくれていたことよりも、幸村の誕生日をしっかり把握していることの方が気になって喜べなかった。




(2009.3.1/2022.9改訂)
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