AIRMAIL

 すぐには無理。だけど必ず一緒になる。そしてその日が来た時にはもう永遠に――。
 そう約束して、短期滞在していたパリから幸村は帰国した。その幸村の元にパリに住む徳川からのエアメールが届いたのが別れて一週間後。二月十八日の消印から幸村が発った翌日には投函していたことがわかる。
 ――カズヤさん……。
 朝の水やりのついでに、ポストを覗くのも幸村の仕事になっている。家族に見られて恥ずかしい内容ではないが、それでも誰にも見せたくないという独占欲が働き、ホッとした。今時ポストカードだなんてDMくらいかと思って取り出したが、まだ記憶に新しいエッフェル塔の写真が目に入った時、ドキッと胸が高鳴った。
 もちろんその間も、その後も電子機器を使った通信は日常的に続いている。ビデオ通話だって時間が合えば手軽にできるご時世だ。なのに、言葉を悪く言えばどこにでも売ってるザ・パリな風景を切り取っただけのポストカードに、価値をつけているのは、ただ「今日もパリは寒い」とだけ書かれた素っ気ない自筆のメッセージ。その暖かさは、ポストカードを持つ、かじかんだ指先から幸村の心臓にしっかりと熱を届けた。
 だが幸村が徳川にエアメールを返すことはなかった。なぜならすぐポストカードと共に撮ったセルフィーを徳川に送って「ちゃんと届いたよ!」と報告していたから。そして、気まぐれかと思った徳川からのエアメールはそれから季節が変わるごとに度々、届くようになり、幸村はセルフィーで返すのが二人の間の決まりのようになっていた。

 三年間、まったく幸村がパリに来ていないわけではなかった。長い時は夏の一ヶ月など、必ず「別れ」がつきまとう再会は、毎回嬉しいけれどその度の「別れ」には慣れず、ただ悪戯に徳川からのエアメールを増やしていた。だが何通になろうともカードに書かれているのは「パリは暑い」「風が涼しくなった」等、他愛もない一言だけ。決して「お前がいないと寂しい」「君に会いたい」「君の隣で目覚めたい」という本音は書かれていない。
 年上だからなだけではなく、幼い頃から異国でしのぎを削ってきた徳川は全てにおいて幸村には、「頼れる大人」だった。でも別れた後に必ず届くエアメールを受け取ると、男らしく大人であっても「寂しい」という感情から別れられることはないんだな、と気づかされる。
 ――寂しい、帰りたくないって駄々をこねたいのを我慢していたけど、俺だけじゃなかったのかも。
 いつ見ても完璧で、テニスでは無茶ばかりするけどコートの外では冷静でクールで大人で……。徳川を一番近くで見ているという自負はあったのに、まだ知らない面がある。だがそれは、幸村も同じだ。すべての感情を徳川に見せることはない。徳川にどう見て欲しいか、と思えば駄々をこねることも我慢しているのだから。
 そう気づくと幸村はより一層徳川への愛しさを募らせた。
 ――このポストカードは徳川さんの隠しきれない俺への想いなんだ……。
 愛してるも会いたいも書かれてはいないが、家族に見られることを意識している――わけではないのは、家族の前であっても手を繋いだり、額や髪へのキスはしていたからわかった。

 そして今日、三年分の徳川からのラブレターも、少ない荷物の中にしっかり含まれて、幸村は正式な住民としてパリの地に降り立っていた。
 もちろんシャルル・ド・ゴール国際空港では、真っ先に目に入る長身の黒髪が大きく両手を広げて迎えてくれた。何度も見た光景だったが、幸村は無意識に初めての言葉を発しながら飛びついていた。
「カズヤさん、ただいま!」
 もちろん徳川は驚くことなく当たり前のように答え、しっかりと受け止める。
「おかえり精市」
 場所が重要なのではない。徳川の腕の中こそが、幸村の帰る場所になった。

 まだしばらく引っ越しで落ち着かない日々は続くから、のんびり行こうと翌日は、二人でパリ十三区の冬のチャイナタウンまで散歩をした。
「懐かしいなぁ……覚えてる? 去年の冬、ここの肉まん食べたよね。半分こずつにして、暖まったよね」
 そう寒さで頬を赤く染めた幸村に見上げられるが、徳川には同調できる懐かしさはなかった。それはただ単に、徳川がずっとパリに住んでいるからではない。実は、幸村が帰国した直後、しばらく一人で通って食べていたからだ。別に肉まんが気に入ったわけじゃない。ただ幸村の存在を、一緒にいた時間をトレースしたかった。そして、ひとしきり歩いた後、ふと目についた観光客向けのポストカードを買って帰り、幸村を想いながら遠回しな愛の言葉をしたためたのが一枚目のポストカードだった。以降、受け取ったよセルフィーが返ってくるのも徳川の楽しみの一つになった。
「ボンジュー、アン シルヴプレ(こんにちは、一つください)」
 肉まんを買う幸村は、まだ荷ほどきをしていないため、徳川のコートを着ている。オーバーサイズを上手に着こなしている後ろ姿にさえ、徳川はまだ夢を見ているような気にもなった。でも夢ではない。これからはずっと一緒に居られる。
「はい、どうぞ」
 幸村が長い袖からほかほかの湯気を出す肉まんを突き出して、最初の一口を徳川に譲った。
「俺はいい」
「え? 食べないの?」
「ああ、こっちの方が」
 肉まんを片手にぽかんと開けている幸村の唇に、徳川の唇が重った。本当はもう食べ飽きたなんて言えない。
 ――でも、お前はいくら食べても食べ飽きることはない。
 幸村が自然と爪先立ちになる。

 この先、いくらでも二人でパリの街だけではなく、どこへでも一緒に行ける。そう思うと何もなくても幸村は、胸が暖かくなるのを感じた。
 徳川の腕に腕を絡め、徳川に肩を抱かれながら歩いていると、ポストカードを売っている雑貨屋の店先に「ニ月十八日はエアメールの日」というフライヤーが見えた。その時、もう徳川からのエアメールが届く事はないんだ、と幸村は気づく。
 一緒に暮らしたからといって、寂しいという感情がこの世から消えるわけではないということもわかっている。それでも、もうその気持ちを隠したり、ポストカードに託したりする必要はなくなった。
(Happy Birthday to MOMOCAsan! from illustration sagami & text miyoko 2023.2.18)
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